ガチメガネの雑記

趣味の燻製のことを始め、雑記を残します

スポーツ指導から見る、ここが変だよ日本の教育〜トップダウンとボトムアップ〜

僕は10年くらい少年サッカーのボランティアコーチをしていました。
結婚して子供が産まれたことを機に戦線を退きましたが、それまでは毎週土日は小学生とサッカーしてました。

その時に感じた違和感について、教員免許を持つ私が学校教育と交えながら、記したいと思います。
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右向け右の日本人

よく言われる表現として、「右向け右と言われれば右を向くのが日本人」というのがあります。
当たり前じゃないか、って思われるかもしれませんが、では欧米ではどうなのか。
「何で今右を向くの?」

これは極例ですが、つまりは日本人は指示を疑問を持たずに聞き入れ、欧米ではその目的を理解しようとする、ということです。

スポーツ指導の場でよくあるのは、試合に負けたり、忘れ物したりすると、指導者が怒って、全員でグランドの周りを走りに行かせます。
日本の選手は「はい、わかりました!」と二つ返事で走りに行きます。
もちろん、納得はしてないので、走りながらブツブツ文句は言います。

ある日本の指導者がスペインの指導者に、
「スペインの選手に同じことをしたらどうなりますか?」
と聞いたところ、
「何のために走るんですか?」
って聞いてくるだろうね、っていう回答だったそうです。

つまり、日本人は行動に目的を置かず、欧米は重きを置く、といったところでしょうか。

これには日本の教育現場に残る悪しき習慣が影響していると思われます。

専制君主ならぬ先生君主

日本の家庭で保護者から子どもによく言うセリフです。
「先生の言うことをよく聞くのよ」
「先生の言う通りにしなさい」

私もサッカーのコーチをしていた頃、保護者の人が子どもにこのように言って預けていくのをよく目にしました。
これが私の感じた違和感です。

先生にしたって、スポーツ指導者にしたって、ただの1人の人間です。
百歩譲って、先生は免許があるけど、地域のチームのスポーツ指導者なんて、手を挙げればなれるようなものです。

そんな人に「完全性」を求めるのは無理があります。
この辺は会社とかでもそうで、上司の言うことは絶対!みたいな王様ゲームみたいな文化が日本には根強くあります。
こういう風潮はトップダウンと呼ばれ、指示系統は上から下にズドン!で基本的に下は兵隊として任務遂行していれば組織は滞りなく運営されます。なので、上の人間からすれば、自分の想定外のことが起こりにくいため、非常に楽な管理方法です。
私たち日本人はデフォルトがこのトップダウン文化で育っているので、
「先生の言う事をちゃんと聞きなさい」
っていう考え方が出てきやすいんです。

ただし、トップダウンには二つの大きなデメリットがあります。

一つは、上の権力が強くなりすぎることです。下が言うことを聞く優越感もあり、時にそれは間違った方向に行使され、パワハラとかイジメが出てきます。
部活動の先輩後輩の関係もそうです。一年はボール拾い、部室の掃除とかならギリギリ理解できても、何故か外周走らされたり、先輩の飲み物買いに行かされたり、ってなると行き過ぎた権力の行使です。

もう一つが致命的です。トップダウンは全て上の指示通り動くので、上の人以上の発想は出てこないし、上の人以上に下が育つことがなくなります。上の人が1から10まで理解して指示を出していたとしても、9とか10の部分は上が握っていると、下はその部分は理解しないまま8までの任務を遂行します。
つまり、上がいなくなると、9とか10のノウハウが組織に残らず、衰退しやすくなります。
会社が代替わりで潰れやすかったりするのは、こういう点が大きいです。
また、指示がないと動けない、指示待ち人間になりがちです。

指で導く者と書いて指導者、ボトムアップ

私の体験談に戻しますが、
私は別に特別優れた人間ではありません。
私の言う事に、間違いがないわけではないし、常に全員を視野に入れながら適切な指示を送り続けるのは不可能です。
子どもたちに私程度の器を上限とした指導をするのもおこがましいです。

なので、私は子どもたちにはこう言っていました。
「自分で考えて動くんだよ」

これだけだと丸投げなので、後は指針だけ示します。
「チームのためになることは積極的にする」
「チームの邪魔になることはしない」
「トラブルがあってもすぐにコーチに言わない」

最初は子どもって何でも聞いてくるんですよね。
「トイレ行っていいですか?」
「練習してきていい?」
「ご飯食べていい?」

ダメ!っていえば、トイレにも行かずに、ずっとモジモジしてるのかな?って思うくらい、何でも聞いてきます。それは保護者に、言う通りに動きなさい、って言われてるから当然と言えば当然です。

とりあえず最初は全部に対応します。
「今それをやったらチームの邪魔になりそう?」
例えばミーティングの直前だったら、後にするっていうかもしれないし、ただの休憩中なら気にせず行けばいいし、っていう行動の判断をずっと子どもたちに任せていきます。
間違えてたら注意します。
「今からチームのミーティング始まるよね?君が今からトイレ行ったら皆が待たないといけないよ?」
もちろん我慢出来ないなら行かせますが。笑

「じゃあ、どうすれば良かった?」
「ミーティングよりもっと早く行っておけば良かった」

って言わせることが出来れば、次からはだいたい大丈夫でした。

こうやって、ある程度の指針だけ示して、下に判断させることをボトムアップと言います。
先程のトップダウンと異なり、下が自分の考えで行動するので、ノウハウは下に残るし、上の器に収まりすぎることもありません。下がある程度の責任を負って動くので、権力も集中し過ぎません。

一方、デメリットとしては、上が下を管理しづらい、ということです。上なら右を選ぶ場面でも、下も右を選んでくれるとは限りません。左を選ばれた時に、フレキシブルな対応が出来るのか、臨機応変さが求められます。
結局、右に無理矢理持って行っては意味がないし、左に行ったことでアドバイス出来なくなっても本末転倒です。

なので、下手なボトムアップトップダウンより罪深いので、準備が重要です。
ボトムアップは丸投げ、と揶揄されることがありますが、丸投げほど怖いものはなく、丸投げできるだけの準備が必要です。
私も練習メニューを複数準備したうえで、子どもらにミーティングでやりたい練習テーマを決めてもらっていました。子どもらは、この前の試合の課題とかを振り返り、シュートがいいとかディフェンスがいいとか決めます。どんな答えが出てきても返せるだけの準備が必要です。

日本に根付くトップダウン文化

日本は会社も学校もトップダウン文化です。そこで育った人はトップダウンが当然の考え方になります。
例えば部活動で、一年の時に先輩に虐げられ、「俺らが先輩になったときはこういうのやめようぜ」なんて言いながら、いざ後輩が出来るとやめられない、なんてのはあるあるです。同調圧力の文化も根強い日本では、「変えない」は正義となりやすいんです。
本田圭佑選手が高校部活で、「敬語なんてやめようぜ」って言って名門星稜高校サッカー部からは一時的に敬語がなくなり、本田圭佑選手自身も後輩に呼び捨てにされてた、というのは有名な話ですが、本田圭佑選手卒業後に元の文化に戻ってしまったそうです。
当時高校生とはいえ、あれだけ発信力のある人でも変えきれなかったわけですから、それだけ文化を変えるというのは難しいといえそうです。

まとめ

日本はトップダウン文化が根強い。
そのせいで先生は完璧でなくてはならない。
とはいえ、数十人を視野に入れつつ完璧にコントロールなんて出来ない。
指示がないと動けない子どもが育つ。
指示がなくても動ける大人に育てるには自分で考えるクセをつけさせる=ボトムアップ
大人対子ども、上司対部下も同じ。